あるとき、私は、北海道の知床半島のペキン岬で遭難していた。
十二月も末に近かった頃で、すべてが凍りつくような寒さだった。生まれて二十数年、九州を出たことのなかった私が北海道に行ったのは、 大学の卒論を仕上げるために、小説の舞台をこの目で見ておきたかったからである。準備と言えば、 大枚をはたいて買ったダウン・ジャケット、それに地図帳と時刻表くらいのものだった。若さは、馬鹿さ、とは良く言ったもので、 怖いもの知らず、ひと気のない冬の海岸を歩いた。そして、その地で遭難した小説の船長は、いかに心細かっただろうか、 などとのんきに考えていた。九州の午後三時は明るい。しかし、北海道はすでに陽が翳り始める時刻だったということには気付かなかった。 いつの間にか日は暮れて、あたりは真っ暗になっていた。あわてて、来た道を戻ろうとしたが、ふぶき始めて、方角もわからなくなっている。 気温はぐんぐん下がっていく。身を寄せる岩陰も見当たらず、歩いているつもりのまま、凍えて気を失っていた。

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